習近平やドゥテルテ、ジョコウィは狂犬的リーダーであると認識されがちだが国民の生活水準の引き上げに大きく貢献したリーダーでもある。彼らは西洋的な価値観を持ち合わせてはいないが、彼らのような思想がメインストリームになる日は近いだろう。
ポストイデオロギー時代という言葉を僕は提唱してきた。これは政治において自国の実利や国益を最も重要なものであるとする考え方だ。逆に言うと他国の内情については極端なまでに無関心であるとも言えるものである。
ここで言うイデオロギーとは共通の理念や信条というものである。注意してほしいのがこれらのイデオロギーは何らかの事実や論理による裏付けを伴っていないということである。つまり多くの人がなんとなく感じている概念という捉え方で問題ないだろう。
まずは西側を見てみよう。アメリカは人権と民主主義の国だが、自国の人種差別、格差拡大やイスラエルのパレスチナに対するジェノサイドを肯定してきたし、アルカイダやISILを(少なくとも間接的に)支援していたこともある。イラク侵攻や同盟国に対するスパイ活動も忘れてはいけないだろう。一方ヨーロッパでは公的債務の増大、経済停滞や極右思想の蔓延といった問題が深刻化してきた。環境・人権問題についてはアメリカより融和的だがそれがいつまで持つかをリベラルなエリートは不安がっている。もちろんこの全てがイデオロギー重視によるものだとは言わないが、イデオロギーというものの無能さを示したのは間違いない。
意外なことに、ポストイデオロギー時代の幕開けは東欧の民主化やベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統合やソ連の崩壊、すなわち民主主義の勝利であった。にも関わらず、これはマルクス主義的イデオロギーの死だけではなくアメリカの存在意義すら形骸化させることになった。日米貿易摩擦のようにアメリカは同盟国との不仲を厭わなくなったし、アメリカはライバル不在によりこれ好き勝手に振る舞うこともできた。しかしアメリカの派遣は同盟国との間での共通の価値観やイデオロギーの共有によって成立してきた。すなわち、アメリカ的・民主主義的なもの、つまり画一的なイデオロギーはもはや世界に存在しなくなる可能性が浮上してきた。
その後の旧ユーゴ紛争、同時多発テロはイデオロギー的なものであったがイラク戦争によりアメリカの力の弱体化と共にアメリカ的イデオロギーは消滅した。これはオバマ政権になってからのシリア・リビア問題、スノーデンのリークをめぐる不信感、そしてトランプ政権の攻撃的な姿勢により更に広まることになった。
一方、民主主義的イデオロギーを破壊したのは、トランプやジョンソンのような保守派のポピュリストや安倍やモディと言った民族主義者である。彼らは意図的に憲法や慣習法を無視するような行動をとり、学問や科学を軽視するような発言も目立った。民主主義的プロセスで彼らが選ばれたことは素晴らしい候補者が常に選ばれるという幻想を完全に破壊した。
インターネットの普及や人権問題における進展、経済におけるグローバル化もこれに拍車をかけた。価値観や思想の多様化がこれらによって推し進められたことで画一的なイデオロギーを新たに作ることはもはや不可能となってしまった。つまり、我々はイデオロギーをもはや持ち合わせていないし、新しくつくることも、少なくともグローバルな規模では、不可能になりつつある。
そんな中、習近平やジョコウィ、ドゥテルテのような政治家が台頭した。彼らはイデオロギーを信奉しているように思えるかもしれないが実際のところ実益を追求している。習近平は農村の生活水準向上のため優秀な共産党員を農村に派遣するプログラムを強化した。AIIBや一帯一路は中国の資本輸出や企業の海外進出を推進するプログラムであって新植民地支配ではない。むしろ途上国の発展により自立を促すものであるのだ。ウイグルや香港に対する批判を「内政干渉」だと主張する中国だが他国のジェノサイドについても無関心を貫いてきた。ドゥテルテはダバオ市長時代の強権的麻薬取締りによって地元経済の発展に貢献したし、ジョコウィもやはり地元のために貢献した政治家として知名度を得た。特に興味深いのがドゥテルテで2020年3月の中国漁船の領海への侵入に対して強く抗議したが、中国からの外務大臣の中国訪問打診は快く引き受けた。彼らを見ているとイデオロギーというものがいかに無益で形骸化したものであるかよくわかる。
ところで、国益至上主義的な考え方は西洋的価値観と矛盾するような気がするが実は西洋的価値観とも相性がいい。近代的合理主義は西洋で生まれたし、国益を重視すると言う政治家は保守、リベラル共に人気になりつうある。
これは果たしていいものだろうか?結論から言えばわからない。もちろん2016年のアメリカ大統領選のように、国益至上主義を掲げてはいるが人権や秩序を破壊する政治家を我々が選ぶ可能性もある。しかし経済的な利益を守るため地域紛争を引き起こす意欲を下げたり、積極的に軍縮に挑む国が現れる可能性もある。あるいは現状の社会システムの改善を目指す左派ポピュリストによる貧困層の救済が行われる可能性もある。ただ1つだけ言えることがある。それはポストイデオロギー時代はもう目の前まで来ているということだ。