UberEATSは便利なサービスであり、日本でも普及しつつあるが、ドライバーの問題行動やそれを放置してきた運営に批判が集まることが多い。それだけではなく、近年ではドライバーの不当な扱いも批判を集めている。
UberEATSはギグエコノミーであると批判されることがある。ギグエコノミーには明確な定義は存在しないが、企業が不当な搾取を行っている場合、それを批判する文脈で使われることが多い。UberEATSのドライバーは公式には配達パートナーと呼ばれていて、個人事業主に事業委託を行うという方式で運営されてきた。
事業委託というのは時折批判される。有名なのが、iPhoneの生産を受託しているフォックスコンの工場での労働者の待遇の酷さである。ほぼ奴隷同然の扱いは中国でもかなり批判された。この騒動はアップルも改善を要求するまでに至ったが、事業委託先の従業員の扱いを管理する責任がアップルに本来は存在しないのは間違いないだろう。もちろん調査をすべきだったかもしれないが、フォックスコンが上手くごまかすことはできただろうし、アップルを責めるべきではないだろう。
UberEATS側もこれと同じことを主張している。つまり、配達パートナーに事業を一任しており、配達パートナーが交通違反をしたり、事故を起こしたとしてもUberEATS側は関与しない、と。
しかし、業務委託の定義や判例を見るとUberEATS側の主張には問題がある可能性が浮上する。少なくとも日本の法律において、業務委託では自主性が重視される。つまり委託した事業者が委託元の指示を受けることなく自主性を持って業務に遂行することが重視されている。実際、くもんの塾オーナーは労働者であるという司法判決の根拠はカリキュラムを塾オーナーが決められないことだった。
果たしてUberEATSのドライバーは自分の好きなように配達を行っているのか。もちろんルートや時間などは自由かもしれないが、自分で仕事を取ってくるわけではないことを司法は根拠に運営の主張を退ける可能性も高い。
似たようなことはコンビニ業界でも当てはまるだろう。コンビニオーナーは自由に仕入れや営業時間を決めることができるとは言い難いのが現状である。もちろんこの辺は現在進行形で改革が進んでいるが。
僕はコンビニやライドシェアサービスを否定しているわけではない。少なくともライドシェア自体は使いやすいサービスであるし、コンビニは便利である。しかし、それと改革が必要なことは違うし、現状を放置しておくべきではないだろう。実際フランスではいち早くギグエコノミーの規制が進められたし、Uberが本社を置くカリフォルニア州でのギグエコノミーに対する風当たりは日々強まるばかりだ。彼らの横暴はもうすぐ終わるだろう。そして我々はそれを歓迎すべきたま。結局、少しの規制で倒産するならそのサービスは大してイノベーティブでも有用でもなかったということであり、取るに足らないものであるとわかるし、事業が存続するなら社会はよりよいものになるのだから。